Interview
神戸光徳 首席ティンパニ奏者

(Q)どのようなきっかけで打楽器奏者になられたのですか?
(A)
音楽愛好家の父が買い揃えたマリンバなど様々な打楽器がピアノと共に自宅にあるという環境で育ち、物心ついた時から楽器に触れていましたので、中学校の部活動は自然と吹奏楽部を選びました。父は「本物の音楽と直に接することが大切だ」と、中学生だった私への誕生日のプレゼントに、ハイティンク指揮のウィーン・フィル日本公演の「マーラー9番」のチケットをプレゼントしてくれました。その演奏を通して感じた彼らの誇り高き姿とその演奏は、私に音楽家への道を開いてくれたと思います。今の私があるのはそんな両親のおかげだといつも感謝しています。

(Q)東京芸大に進学されたのち、ニューヨークに留学されたそうですが、その経緯はどのようだったのですか。
(A)
大学生になって視野が広がり、世界をどうしても直に見たくなりました。そこで、ニューヨークのマンハッタン音楽院に留学することにしました。しかし、当時は英語すらほとんど話せず、外国の人たちのものの考え方も全く分からない状態でしたので、音楽院での練習に追われつつ、勉強に悪戦苦闘していました。音楽院と図書館と自室の行き来で日々完結していました。
ようやくニューヨークでの生活に慣れてきたころ、カーネギーホールでのコンサートにはよく通うようになりました。お金はなかったので、コンサートの前半だけ聴いて帰るセレブリティの出待ちをしてチケットをいただき、後半からボックス席で聴いたりしました(笑)。世界中のオーケストラを聴くことができてとても勉強になりましたし、大好きなホールでした。

(Q)そのあとイスラエルに渡られたのはどうしてなのですか。
(A)
ある日、レッスン室で見慣れぬ若者と出会ったのです。話しているうちに、彼がイスラエル・フィルに入団したてのティンパニ奏者だということがわかりました。すぐに友達になりのちには同僚になりました。そんな折に、エルサレム交響楽団の打楽器奏者のオーディションが音楽院の隣の教会であり、受けてみたところ、その場で合格をもらいました。オーケストラを仕事とする事に対する大きな期待感に加え、ユダヤ人との交流ができることにもとても興味があったため、行く事に決めました。

(Q)イスラエルでの生活はいかがでしたか。また後に、イスラエル・フィルに移籍され巨匠ズービン・メータのもとでの演奏活動はどのようなものでしたか。
(A)
エルサレム響ではプロの打楽器奏者としてのキャリアを積むだけでなく、アメリカ合衆国の演奏ツアーなども経験できました。しかし、それにもまして私に影響を与えたのは、イスラエルでの生活でした。エルサレムでは家から徒歩圏内でグリーンライン(第一次・三次中東戦争での停戦ライン)があり、自室のバルコニーからはその先にパレスチナとの分離壁が見えるため、嫌が応にも国や国家の概念について考えさせられました。イスラエルは常に国家存亡の危機と隣り合わせであり、男女問わず徴兵制があります。特に、独立戦争を経験した人々は、自分から前に進んでいかなければ「自然淘汰」されてしまうことを肌で感じているようでした。さらに年配の方々には、ナチスによるホロコーストを生き延びた方もいらっしゃって、「生きている、生かされている、サバイブする」とは何かなど多くのことを学びました。気分転換では、死海に浮きに行ったりお寿司を食べたり、聖地巡りなどへもよく出かけました。
その後イスラエル・フィルに移籍し、テルアビブへ移りました。このオーケストラはご存知の通り、フーベルマンが作り、トスカニーニ、ワルター、バーンスタイン、バレンボイムなどの手を経て、現在もズービン・メータの強力なリーダーシップのもとに日々演奏活動をしています。違うプログラムでのコンサートが連日続くなどは日常茶飯事です。どの演奏会も常にフルハウスであり、本国でのコンサートの合間を縫っての世界ツアーも当たり前の日々となり、時に目覚めたとき自分のいる国と時間が分からなくなってしまうほど、移籍後は生活が激変しました。マエストロの統率力と集中力は強靭で、渦巻くようなサウンドと音圧には最初はついていくだけで精一杯でしたし、パワーと集中力がぶつかり合う毎日のステージは戦場でした。張りつめた環境の中にも関わらず同僚はユーモア溢れる人ばかりでした。本番の演奏中に、私が真剣な顔をしていると、30歳も年の離れた同僚の奏者が“Smile!”と叫ぶのですから(笑)。国籍・性別・年齢・演奏中のミスの数などでの評価の尺度はありませんでした。その代わりに人間としての度量、成長を見守られながら仕事をさせて頂きました。

(Q)今回の定期演奏会で演奏するニールセンの交響曲第4番「不滅」については、ティンパニストの立場からどうお考えになりますか。
(A)
この劇的な交響曲は、その終盤において2群のティンパニの競演があり、ティンパニストにとって印象的な作品の一つです。今回のパートナーは広島交響楽団奏者の岡部亮登さんです。彼は昨年度の「管打楽器コンクール」で優勝され、打楽器奏者として初めて内閣総理大臣賞を受賞された才能にあふれた若手奏者です。彼との共演からも自分自身学ぶものが多くとても楽しみにしています。
われわれオーケストラ奏者も常に「前進する」存在でなければならないと思います。日々自己研鑽し、ニールセンの考えた「どのような人生を歩んできて、どこへ向かうのか、すなわち、変わりゆくが滅ぼし得ざるもの」として在りたいと考えます。
私のような型外れの奏者をも受け入れてくれる神奈川フィルの柔軟性に感謝するとともに、奏者と聴衆の皆さんとのコミュニケーションが化学反応をおこし、神奈川フィルならではの“Inextinguishable”となる演奏をしたいですね。
お聴きいただいたうえで、忌憚のないご意見やご感想をたくさんいただけますよう、どうぞお願いいたします。
群馬県出身。
東京藝術大学入学後、マンハッタン音楽院へ留学。
その後イスラエルへ渡り、エルサレム交響楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団にてティンパニ・打楽器奏者として活動後、2012年帰国。
2014年4月より神奈川フィル首席ティンパニ奏者。