Interview
﨑谷直人 第1コンサートマスター

桐朋学園の学生により結成されたウェールズ弦楽四重奏団など、これまで多くの室内楽の分野を活動の中心としてきた﨑谷直人にとって、2014年4月、神奈川フィル第1コンサートマスターへの就任は、新たなステージの飛躍となったはずである。今年5月に行われた定期演奏会みなとみらいシリーズ第299回では、モーツァルトの協奏曲を艶のある美しい音色、卓越した音楽表現で弾ききり、聴衆はもとより楽団員からも喝采を浴びたのは記憶に新しい。これからも挑戦することに妥協を許さない彼の気迫は、全体に伝播し、オーケストラにとって新しいページを切り開いていく原動力となる。
Sonorite #303 取材・文/田賀浩一朗

『楽器も一緒でいいかなぁ』― 替えたばかりのヴァイオリンを大事そうに抱え、﨑谷直人はインタビューに応じてくれた。今年4月に就任した第1コンサートマスターとしての想いや室内楽をはじめとするカルテットの活動など、幅広い活躍で自身の音楽表現を日々広げ続けている今を聞いた。

『両親が友達に慣れさせるために通っていたエレクトーン教室で、父親が準備したダンボール製のペラペラなヴァイオリンを手に、音に合わせてお遊戯をする会で触ったのが最初』

初めて“楽器”に触ったのがヴァイオリンでなく“ダンボール”だったことに不満を覚えながら、『これは違う』と意欲旺盛な﨑谷少年はそう思ったという。そのあともちろん“本物の”ヴァイオリンを両親にねだったのはいうまでもない。

そんな少年時代の﨑谷直人は、シンプルに音楽と対峙していた。『ヴァイオリンよりもバスケが楽しみで、NBAやサッカーをこよなく愛す普通の少年でした』と語るように、本人はコンスタントに楽器と触れ合いながらも、興味はスポーツの分野に。『職業として将来弾く感覚は当時持っていなかったけれど、コンクールでは良い結果がでていたんです。だからケルン音大にも入学できたんです。』しかし、ここから待ち受けている試練は、今の﨑谷直人を形成している原点ともなった。

『初めて留学したドイツ・ケルン音楽大学では、現地での生活が耐えられず、17歳のとき泣きながら両親に電話して、翌日には成田行きの飛行機に乗っていましたね。』

人生初めての挫折を経て、パリに留学するきっかけとなったジェラール・ブーレ氏のレッスン。そこで受けたラヴェルのツィガーヌ。『これまでやってきたヴァイオリンとは違うスタイル、全然違うものをそこでみて、おもしろいな・・・ヴァイオリンって思いました。』

帰国後、ソロしか挑戦してこなかったということもあり、桐朋学園ではカルテットを結成。『最初は軽い気持ちではじめたんです。勉強にもなるし、みるみるその魅力にのめりこんでいきました。』この結成で『自分を救ってくれた』室内楽という分野に新たなる魅力を見出し、一念発起で、世界的にも難関で知られるミュンヘン国際音楽コンクールで見事3位を獲得。 『その時はさすがに命がけでした』と本人がいうように、すべてをかけていたという。

来年カルテットとしては初めてCD録音をする。『自分の理想とするものを今の録音技術を駆使して表現しない手はないと思っています。生で聴くものとは別のものだし、ある意味完成された自分の理想を後世に残すという作業だと思っています。』一方、生演奏の魅力は『うまい演奏をする人は、時間の使い方がすごくうまい。どんなに余韻が長いものでもその余韻は音だけではなく、時間を常に感じさせる演奏をしている。音楽って空間芸術なんだと改めて感じさせてくれます。』

『やりたいことができる場所、オーケストラでコンマスをやるようになって余計そう思うようになりました』そんな風にカルテットの魅力を表現してくれた。一方、オーケストラについては、コンマスができて本当によかったと安堵する。それはカルテットを長年率いてきたからこそ出てきた言葉だった。『自分から提案なり発信なりができる立場でやれるほうが自分に向いていると知っていたから、なおさらだったんです。』

そんな彼にもまだまだ課題はあるという。

『自分のメンタルがぶれるとオーケストラ全体の音にでるんです。あとは、事前に楽譜をみて練習していると、ある程度イメージができてしまうんです。でも、作りすぎると指揮者の思いや考え方とすれ違ったりする。勉強して準備しないといけないけど、気持ちをゼロから制御するが難しい。』

2014年は神奈川フィルにとってリスタートの年、そのタイミングで常任指揮者の川瀬賢太郎をはじめ、新たに加入した新メンバーとこれまでのメンバーとの融合が新たな音楽性を生むと﨑谷は言う『長いスパンでみんなと音楽をしていきたい。ぜひ応援してください』﨑谷直人の挑戦はまだ始まったばかりだ。